伝達能力を磨く極意

「賞狙いはだめ」先生はそう話した。大和楽コラムと次元が違ったが、書き直すたびにつまらなくなるゆえんかもしれない。

もっと自然に書きたいことを書きたいように書く。それでいいのではないか。押しつけがましいところがないだろうか。伝えるには伝わるように伝えないと伝わらない。

「伝えたいことを圧縮するには、考えをまとめ一番大切な要素に絞ることが必要」とも聞いた。そもそも何を伝えたいのだろうか。そこがはっきりしていないと、何をやってもだめになってしまう。

一生懸命に話すときってどんなときかな。母親や父親に聞いてもらいたい一心の子供が目に浮かんだ。振り向かせたい思い人、心溶け合う恋人同士の会話もそうかもしれない。もっともっと。

理不尽に対する訴え、認めてもらいたい気持ち。感謝の気持ち。これらはぎゅっと圧縮しなければならない、そういう状況の中で初めて、伝達能力は磨かれていくのではないか。ここに極意あり?

そうだ、もっとがんばりたい。
さぁ、がんばろう。
では、このへんで。


これって、一生懸命必死になれということかもしれない。まず思いが先に。精神論?いや、違います。これは実践論であり体験学だとおもう。

本当に伝えたい相手に対して、賞狙いなどしない。賞など関係ないのだから。ただ一人、伝わればいい。そう思う。

今日はちょっと追記してみた。