「学問のすすめ」の「世話」を読んで

こんにちは、古いノートの整理をしていたら、福沢諭吉の「学問のすすめ」についてのメモが目にとまりました。

どこかの現代訳を書き写したメモに見えるのですが、どこから引用したのか、それとも自分で要約したのかわかりませんが、とりあえず引用します。

世話という語には、保護と命令の二つの意味がある。保護とは、人の傍らに付き添って、金や物を与え、時間をさいて利益や名誉を守ってやり面倒を見ることを言う。命令とは、人のために役立つことを指図し、損にならぬように意見し、心を尽くして忠告することを言う。
この、保護と命令または指図の、両方を備えるのが真の世話であり、これで世の中はうまく治まるはずだ。

「学問のすゝめ」より

世間には貧民救済と言って、悪人かどうかも、貧困の原因も調べず、単純な同情から米銭を与えることがある。

天涯孤独の貧しい者への援助は当然だが、五升の米をもらっても、うち三升は酒に変えて飲む人間だっていないわけではない。禁酒もせず、やたらに米を与えるのは、指示の世話をせずに、行き過ぎた保護をする例である。つまり「おおきに、ご苦労」だ。

「学問のすゝめ」より

最近20年度最後のダウ平均株価が上昇というニュースを見て、通貨の価値が下がっているから株価が上昇しているように見えるのではないかという、軽い思い付きから「株価上昇は驚異的な国債増発による通貨価値の低下が原因」という記事を書き上げて公開しました。

日本政府の借金は、日本銀行への新規国債発行という形となって増えていきます。貸主のはずの日本銀行がなぜか日本国債を大量に持っているといううわさが本当かどうかを、日銀や財務省の公開資料から調べてみました。

そのなかで、サラリーマン個人投機家への休業補償のお金が東証市場に流れ日経平均が上がっているのではないかと書きました。

なんとなく、福沢諭吉の「世話の編」にある、世間には貧困救済といって。。。のくだりが、今の時世に重なって感じたのです。

「世話」には二つの意味があり、保護と、指示や指図のバランスが大切と書かれています。どうも、今回の2回目のコロナウイルスによる緊急非常事態宣言の政府や世間の動きと通じている感じがしたのです。

明治時代に書かれた「学問のすゝめ」ですが、この章の最後に、先進国(イギリス)でも貧困対策について「世話」がうまくいかないから、苦労していると書かれてあった記憶があります。今も昔も変わらないところがあるようです。

激動の時代でどうするか

僕が肌で感じていることは、コロナウイルスによって立ち止まり色々な躍進をした人と、ただ何もしないで戻らない過去を待ち続けていた人との間で、すごい格差ができているという実感があります。

学問のすゝめ第十四編の「自己の精神を再点検する」で、人生を商売の棚卸による損益計算にたとえ、「いままでにできたこと、できなかったことを洗い出し、その損得なりを、時々差し引き計算してみること」を薦めています。

損得の計算を、現在の自分はどんな仕事や学問をしていて、どこまで成功したのか。今、どのような品物を仕入れて、それをどう売り、活用するつもりか。来年も同じ経営方法で大丈夫か、ほかに工夫はないかなどといった、精神面での帳簿を点検し、すべての面で決算してみること。と説明してあったような記憶があります。

近年の必然的な異常気象を始めコロナウイルス発生による人類危機といった激動の時代こそ、古きにとらわれて、時代の変革に乗り遅れないように意識する考え方の重要性が更に高まっているように思えます。

いつの時代も、現状把握をして、今ある物と、これから欲しいものを再確認することから始まるようです。

黒船来航のオマージュのような時勢

今の日本政府の対応を見ていると、まるで、幕府や朝廷の行動のようにも見えてしまうのです。

あの時代の人たちはどのように、激動を乗り越えてきたのか?という側面でも、興味があります。

そんななかで、「学問のすゝめ」が、僕の中で今読むと役立つ本ナンバーワンになっているので、今回ブログに書いてみました。