大和楽の更新は本当に久しぶりです。
最近僕は、意識していても自然と意識しなくなる、呼吸や息の特性は、とらわれた思いや想念を頭の中から洗い流すのに最適であると気付きました。
「雑念が浮かんだら呼吸を数える」という、テクニックと、その根拠?というか理屈が頭の中で腑に落ちました。この気づきを忘れないうちに、記事に書いてみることにしました。
最初は、400文字のコラムにしようかなと思いましたが、まとめきる前にとりあえず、ブログとして公開するつもりで書き始めたところ、長文の記事になってしまいました。
ところで、呼吸と言えば坐禅と僕の中ではつながります。
そのため今回は坐禅についても触れつつ、呼吸って凄いぞと、何となく納得した僕の中での、流れで書いています。
坐禅の呼吸法と合わせて雑念を洗い去る浄化について共感できるところがあったら幸いです。
息を数えるだけの、坐禅について
僕が教えていただいた坐禅では、型にとらわれず「背筋を伸ばして呼吸を数える事」を、スタイルよりも重要視しています。
坐禅のやり方は簡単で、息を吐き終わったら、ひとつ、また吐き終わったら、ふたつ。。。。と10まで数え、10まで来たらひとつに戻ると繰り返していくだけです。
このとき、呼吸に意識を向けていきます。この感覚を簡単に伝えることができれば良いのですが、続ければ続けるほど新しい気づきがあります。そのため、説明することは難しいです。
ただ、呼吸を数えるだけでも、坐禅と同様の状態になると、僕の恩師や雲水が、教えてくださりました。
より本格的な坐禅について
息を数えるだけの坐禅から、より本格的な坐禅に近づく場合は、背筋を伸ばすことを意識します。
ここでは、座禅ではなく、坐禅について書いています。むかし坐禅会のパンフレットを作ったとき、雲水さんから「座禅ではなく坐禅です」と伝えられました。一般的な座禅と坐禅は別物かもしれません。
坐禅で重要なのは、呼吸と姿勢だと思います。
坐り方 骨盤・背骨編
まだ坐禅を始めたばかりの頃は、丹田に力を込めて骨盤を立てると説明してもピンときませんでした。
説明するよりも、体得する物だと思います。ただ、呼吸を意識する坐禅モードになると、自然に骨盤が立つ形に移行していきます(体が覚えているからかな)。
背骨を伸ばす感覚を体感するには、坐蒲(ざふ)という坐禅用の座布団に座り足を組んだり半座状態で、25分ぐらいの一炷(いっちゅう)坐禅を毎回続ける体験が必要かもしれません。
1回や2回坐禅をしただけではなかなか、分からないとおもいます。
坐禅の回数を長く続けることで、あるとき、骨盤を立てる安定感や楽さに気付く瞬間があります。
骨盤が立った状態になると、体が安定して、自分が樹木になったようなゆったりと楽な状態になります。
周りの空間に溶け込むような不思議な感覚など、色々な発見があります。
坐禅の時間について
坐禅は、最初に坐る時間を決めておき、時間が来たら終わると言うことが重要だと、雲水の方がおっしゃっていました。
時間の計り方に坐禅では、線香をタイマーの代わりに使うことがあります。
お香や線香も色々な長さがありますが、一般的な25cmぐらいの線香の燃え尽きるのにかかる時間は25分ぐらいなので、坐禅会などではよくつかっています。
もちろん、最初は続かないので、5分から始め、10分、15分、20分に25分と坐る時間を長くしていきます。
坐り方 視線の方向
もう少し本格的な坐禅に近づける場合は、壁に向かって座る事を意識します。
壁から少し離れた位置の、座禅専用の坐蒲という座布団の上に、足を組み座ります。坐蒲がなければ座布団を折り曲げたり重ねたりして代用は可能です。
視線は、1m先の床に向け半眼にします。
親指をつなげて右手を左手で押さえるようにして楕円を作り太ももの上にのせる姿勢になります。
あまり力を入れずに、楽な姿勢を取っていると、自然と骨盤が立ち、背筋がのびで頭のてっぺんから、おへそあたりの丹田に落とし込んでいく感じになっていきます。
ここまで形を整えると、ほぼ、曹洞宗的な坐禅の型になっていきます。
正確なやり方
軽く紹介のつもりで始めましたが、詳しく書きすぎてしまったので、最後まで書こうと思います。
坐禅にも色々なやり方がありますが、僕が知っている坐禅について、より少し詳しいやり方です。
- 坐蒲の前で一礼します。一緒に坐る人がいる場合は、隣の方にも一礼をします。
- 壁から1mほど離れ多場所に置かれた、坐蒲に座ります。
- おなかの前の太ももの上に、左手を上にして、親指を付けて楕円を作ります。
- 骨盤を立てる感じで背筋を伸ばします。
- 顔は正面に向け、まぶたを半眼にして視線は、1m先の床をぼんやりと見るイメージです。壁に焦点は合わせません。
- 鐘が3回鳴る坐禅が始まる制止という合図で、上体を左右に揺すり、呼吸に意識を向けていきます。
- 呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。。。と10まで数え、ひとつに戻る事を、繰り返します。
- 鐘が1回なり、坐禅が終了したことを告げる放禅鐘が聞こえたら、自分のタイミングで胸の前に手を合わせ一礼して終わります。
- 1日中坐り続ける接心の場合は、歩行禅に移行し、また、坐禅に戻ります。
坐禅の時間ですが、最初は続かないので、5分から始め、10分、15分、20分に25分と坐る時間を長くしていきます。
毎日坐っているとだんだん、長時間座りたくなってきます。
重要なことは、最初に坐る時間を決めてしまい、鐘が鳴ったら続けたくても、やめることが重要です。
そういえば、雲水の方も、そうおっしゃっていましたが、僕も時間を区切ることは重要だと思います。
一人で坐るときのタイマーについて
坐禅は続けることが一番です。禅寺に行かなくてもどこでも行うことができます。
ついでなので、一人で坐るときに役立つ、タイマーについて書いておこうかなと思います。
禅寺などでおこなう坐禅会では伽羅など香りが良いので線香やお香を使うことが多いです。一方で、お香などは匂いが付き高額です。
元々型にはこだわっていないため、僕が一人で坐るときには、お香や鐘の代わりにキッチンタイマーを使っています。
スマホでも良いのですが、坐禅中にメッセージや電話が入ったり、スケジュールやメッセージを確認したくなるため、僕は使っていません。
早朝などに坐るときキッチンタイマーではピピピピピーと音が大きく迷惑なので、僕は光ってピピッと一回だけなるシンプルな「dretec(ドリテック) 学習用デジタルタイマー(Amazon)」を愛用しています。
ちなみに旅先などでどうしても坐りたいときには、坐蒲の代わりに枕を使うことが多いです。
ホテルでもどこでも場所にこだわらず、壁さえあればどこでも坐れるから続けることができています。
坐禅の奥深さについて
坐蒲を使わずに椅子の上で行う坐禅もあります。呼吸を数えるだけの坐禅は、究極の省略形です。
集中すればどんな姿勢や場所でも、呼吸だけで、ある程度までは、坐禅と同じような体の状態に持って行けるようになると。。。僕は思います。
もしかすると僕のやり方は坐禅ではないかもしれません。坐禅の奥深さについては全然分かりません。
雲水に聞く坐禅の共通項
坐禅にも色々やり方があります。僕は壁に向かって坐る曹洞宗のやり方を、禅寺で2日間坐り続ける接心に数回参加する機会のなかで知ったやり方をしています。
坐禅会に参加したとき、雲水とよばれる禅僧の方から坐禅とは何か?と毎回質問をします。
すると、まず「息・呼吸」そして、「無」や「空」という話の方向に向かうことが多いです。
僕自身はいくら坐っても「悟り」や「無」や「空」がどういうの物なのかは、全く分かりません。
ただ、経験的に、お手軽な坐禅をつづけ、呼吸こそ、無の極地へ至る、一番安易な道なのかもしれないと、最近特に強く感じています。
心のあり方が人生を作る
いきなり、心のあり方が人生を作ると書いてしまいました。
今回、呼吸により雑念を払う目的は、心から悪い感情を追い出すための手段として、実践して気付いたことなので説明させてください。
心のあり方について、『「原因」と「結果」の法則』で有名な、ジェームズ・アレンさんの言葉を、京セラ創業者の稲盛和夫さんがよく引用して話していました。
稲盛さん以外にも「心が人生を作っているのだ」という内容を多くの人が、語っています。
毎回、分かったつもりになっても、しばらくすると全然分かってなかったなと、気づきが深くなっていきます。
最近「心が人生を作っているのだ」という意味がようやく分かってきました。どうせ、また数ヶ月すると、浅い奴だと自分で思いそうです。
今回は、中村天風さんが「運命を拓く」という本の中で、より明確に断言している事に気付きました。
所詮、人生は心一つの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切をよくもし、悪くもする、というのが人生支配の根源原則である。自然の法則は、まことに峻厳(しゅんげん)侵すべからず
出典:『運命を拓く』著作:中村天風より
このように、中村天風氏は断言しています。
考え方が重要なのは分かるけど、どうしたら良いのかなと言う問いに対して具体的に、
要するに消極的にものごとを考えなければそれでよい
出典:『運命を拓く』著作:中村天風より
と書いてあります。実際にやるとなると凄く難しいことだと思います。
ただ、「消極的にものごとを考えなければそれでいい」とは、凄くシンプルだとおもいます。これなら、できそうな気がします。
中村天風さんについて、未熟な僕が語り始めると、とんでもないことになります。詳しいことは、書籍や天風会で学ぶことができます。書籍はどこの公立図書館にもあると思います。Amazonで購入できる参考図書を書いておきます。
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- 『運命を拓く』(著:中村天風)
- 「原因」と「結果」の法則(著:ジェームズ・アレン)
- 『As a Man Thinketh: The Original 1902 Edition』(「原因と結果の法則」英語版)
呼吸を使う、実践的テクニック
前置きに坐禅などを書いて長くなってしまいました。今回は、実践的というか、テクニックの話です。
なぜ中村天風さんを持ち出したかというと、「雑念が浮かんだら呼吸を数える」という坐禅に通じるテクニックを使えば、消極的な考えや思いを追い出すのに有効だと気付いたからです。
別にそこまで持ち出さなくても、目の前で集中したい時に浮かんでくる雑念を追い出す方法としても良かったのですが、僕個人が2023年の1月からとにかく「心」に関する出来事が多く起こっています。
そこで、一番重要なエッセンスとして、やはり、心について書いてみました。
ここからは、実践的なテクニックについて書いていきます。
呼吸が雑念から意識を遠ざけるのに役立つ訳
さて、メインテーマについて書いていきます。
呼吸が雑念から意識を遠ざけるのに役立つと確信した理由を書きます。あくまで、僕の実体験なので、お偉い方の教えではありません。
今この瞬間、目の前に集中するには、意識を空にして雑念を追い出す必要があります。
頭の思考が空になった状態で、目の前の瞬間に意識を向け満たせば、集中できます。
ところが、雑念がいつまでも頭をよぎっていると、頭と意識を100%活かせません。
都合が良いことに、人間はひとつのことしか同時に意識を集中させることができません。できる人もいるのかもしれませんが、僕は頭の中の独り言を複数で同時再現させることはできません。
心臓の音は聞こえないけれど、すぐに意識的に感じることができる呼吸は、意識しなくても、当たり前に繰り返されています。
ところが、いくら呼吸に意識を向けていても、気がつくと呼吸をしているという存在を忘れ、他のことに意識が移っていきます。
これは、例えば、心や状況が囚われていると気がつくといつの間にか頭に浮かんでくる、「怒り・不安・欲望・悔しさ」とは全く逆です。
呼吸を数える坐禅と同じ「手放す」という感覚で、息に意識を向けることで、意識しなくても意識しなくなる「空」で満たすことができると思ったのです。
呼吸をずっと意識的に捉えていることはできません。ふと急に、呼吸が気になって呼吸で頭がいっぱいになることはありません。もちろん、喘息や呼吸疾患の方の場合は別です。。。
呼吸に意識を向け呼吸の事で頭が一杯になれば、邪念や雑念を水に流すことができるのではないか。そう感じました。
最終目標は、目の前に集中することやネガティブ感情を追いやること
良いも悪いもない呼吸に意識を集中し、体に気を満たすことで、頭が空っぽになれば、目の前の出来事がすっきり見えてくると思います。
ネガティブ感情については、つまるところ、「消極的にものごとを考えなければそれでいい」ここだけを実行すれば、心がポジティブな方向に自動的にコントロールしてくれるはずです。
積極的な感情に行かなくても、ネガティブな方向に引っぱられる状況から脱出する手助けになると思います。
呼吸って凄いな!!と感動しました。
まとめ
今回記事を書くきっかけとなった、「雑念が浮かんできたら、呼吸を数える」このテクニックは、日常で使うことができる凄い手法だと思いました。
色々な流れの中での気づきで、何か、脱線して長くなりましたが、呼吸って凄い!!呼吸は意識しないと気付かないから、プログラムで言うところのNULLみたいな物だと思ったので書いて見ました。
ああぁ、NULLなんて書いちゃった。。。NULLはFalseでもTrueでもない値を持たない定数の事です。つまりプログラム言語で言うところの「空」です。
呼吸はNULLと同じだなぁと、プログラムをやっている人にはイメージしやすい説明かもしれません。
捉えどころがない無や空と言う概念は、工学や科学の中でも重要な要素のようです。
工学的でなくとも、呼吸は水のように捉えどころがなく誰でも無意識で行っているから、雑念を洗い去る浄化に適しているのではないかと、何となく納得して書き始めてしまいました。
修行したわけでもなく完全ではありませんが、坐禅による積み重ねの土壌があったからこそ、気付いたたことかもしれません。たしかに、3年前の僕に説明しても伝わらない気もします。
それでも、この気づきに、共感してくれる人が存在して、同じように考える人が他にもいると感じてもらえたら、うれしいです。
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- 『As a Man Thinketh: The Original 1902 Edition』(「原因と結果の法則」英語版)