一昨日、本田技研工業の第7代社長を務めた伊東孝紳さんの講演会に行ってきました。約一時間の講演でHondaフィロソフィーにある「3つの喜び」の喜びは「苦労することで得られる」という前提があったことを持ち帰ることができました。このことについて書きます。

講演会は経営者向けの勉強会の基調講演で行われました。自分の商売にどのように活かしていくかという視点で聞いていたため、一般的なとらえ方と異なってくるかもしれませんが一つの物も見方になればと思います。

記事を読む上での注意事項

物事を学ぶときには原典に当たれと言われています。伊東さんの講話の引用には細心の注意を払って書きましたが、 私が聞き取った時点で聞き違いや情報の歪曲からくる劣化は避けられません。記事を書く上で言葉を削ったため内容がすこし偏っています。記事内での伊東さんの発言と異なる部分があったり話の上で大切な要素が抜け落ちている可能性があります。未熟な文であることをご了承ください。

ホンダの社長とは

本田技研工業の製品は現在41カ国で販売され生産拠点も約130拠点あるそうです。創業者の「技術を通して人の役に立ちたい」という思いから取り扱っている製品は多岐に及び、飛行機やロボットを始め、大きく分けて二輪車と四輪車と汎用製品など様々な物を作っています。

伊東社長も任期中に積極的に生産拠点を回ったそうですがすべてを回ることも、すべての製品を完全に把握することもできなかったと謙遜してお話しされていました。

一人一人が自立して行動できるわけ

社長が自社の製品や拠点を完全に把握しないでなぜ社長業を務めることができたかというと、Honda Philosophyという哲学があったからだとおっしゃっていました。
一人一人が自分の問題としてフィロソフィーという指針に照らし合わせながら自ら考え自立して行動することができているおかげというお話でした。

講演を聴きながらフィロソフィーのすごさを実感として感じていることがひしひしと伝わってきました。

Hondaフィロソフィーについて

創業者である本田さんと藤沢さんが 「人権尊重」と「3つの喜び」と言う2つだけを残して引退したことは有名です。

人権尊重には、自立、平等、信頼の3つが含まれています。
3つの喜びには、買う喜び、売る喜び、創る喜びが含まれています。

講演の中で伊東さんが「三つの喜び」に書かれていない大きな前提条件をさらっと話されました。同じ意味をいろいろな角度から伝えていたのですが、これはかなりストレートな言葉です。

「哲学であげる喜びとは、苦労したときの喜びなのです。楽ができたとかそういったことではないのです。」

喜びとは苦労する喜び

ここからは講演から離れて私が感じたことを書いていきます。 巷には本田フィロソフィーについての書籍などが溢れています。喜びといっても人それぞれであり何が喜びになるかが明確になっていません。

この状態で本田フィロソフィーの3つの喜びが素晴らしいからといって、自社に持ち帰ってそれをそのまま使ってもうまくいかないのです。都合の良い解釈では使いこなせないように見えます。

これ一つ持ち帰るだけでも十分な感じでした。やっぱり、ちゃんと喜びの定義があったんだと。策略とかそういった喜びではないのです。このポイントを意識するといろいろなことが見えてきます。

創る喜び売る喜びに、買う喜び

3つの喜びには、自分たちでコントロールできる「創る喜び」と「売る喜び」に、自分たちではコントロールできない「買う喜び」が入っています。

職業として三つのすべてのバランスを取ることで、必要とされる存在で有り続けることができます。三つの内一つでも喜びがなくなると、継続がたちまち困難になってしまいます。

改めて本田フィロソフィーってすごいなと思いました。「本田宗一郎さんは人をよく見ていた」と本田さんをよく知る人の多くが口を揃えて言っています。

創ると売る喜びはコントロールできる

「創る喜び」と「売る喜び」は提供者側でコントロールができます。マーケティングでお客さんが本当に欲しがっているものを調査し求められている物を探り出す作業は不安でもあり地味だったりします。まだ社会にない達成困難な事へのチャレンジは自分たちで選び努力することができます。

営業や販売接客は、お客様をよく見ることから始まりお客様を好きになる努力が肝だと思っています。これは本当に難しくチャレンジだといつも反省して感じていることであります。

最近は、「好きになること」という努力の方向性が間違っているのではと感じてます。物を売るのに相手を好きになる必要は無いのです。好きも嫌いもないのです。「相手のお役に立ちたい」という気持ちだけで良いのではと感じているのです。

売る喜びでの接客の基本は相手の話を聞きその人に最適な商品を紹介することではないでしょうか。聴くことは本当はもの凄く難しいことだと思います。どこが難しいかというと、難しく忍耐が必要な所だと私は感じています。

忍耐でニーズを引き出すかどうかは、選び取ることができます。

「売る」からの連鎖反応

自分と価値観が似ている人との接客は心地よく感じます、そして売るのは簡単です。接客するとき自分が楽しい相手ばかりを選び、嫌なお客様から逃げるような対応では、売る喜びの半分のチャンスを捨てていたのではと私は感じたことがあります。

私はホンダの社員ではないのですが、お客のニーズに対して自社の商品がないときこそ、「技術を通じて人の役に立つ」という理念が涙が出てくるぐらいありがたく思えるのではないかと思いました。お客様に売れなかったと言うことは、「お客様に必要とされている商品がない」と言うことであり、これはお客の責任ではなく、こちらの力不足が原因とできます。

お客様に必要とされているものを追求することが、企業理念の大義名分であるならば、企画でもなんでも人にできる限りのチャレンジをすることがゆるされているのです。これって、すごく楽しいことです。まるで繊細な自動操縦機能が無い戦闘機を全神経をとがらして超高速で飛ばしているような。

創る喜びへとつながり、売る喜びになり最後に、買う喜びを達成することができます。やっぱり、すごすぎるぞ「3つの喜び」と感じるのです。前提条件の「苦労の努力」というが無ければ、連鎖反応が起きない。なるほどと思えました。

冷やかし客に対して、商品を売る。「ミイラ取りをミイラにする」それぐらいの、気概をってやっていくことを、承認してくれているのです。プリミティブな理念が最強と言われるゆえんかもしれません。

買う喜びは、買う努力もいる

「買う喜び」は、提供者側からコントロールができません。喜びを味わうには買う方にも憧れの商品を一生懸命努力して買うプロセスが必要なのかもしれません。

思い返してみれば、学生時代に楽器店にあった一目惚れのギターが欲しくて何ヶ月もアルバイトをして手に入れたときの喜び。これは、どんなに素晴らしい接客対応であったとしても、売り手側が作ることはできません。買い手の汗と涙の結晶ではないでしょうか。

楽な喜びと困難な喜び

実感として達成時の喜びは苦労指数に比例すると感じることも多々あります。一方で楽をして効果的に物事を持って行く人もいて、どちらが正しいかは私にはわかりません。ただ、本田フィロソフィーでの喜びは、苦労が伴う喜びを目指しているようです。

「そりゃ無理だろ」と誰もが思うことにチャレンジしていくという姿勢には、やはり失敗が伴います。それでも「三つの喜び」の為に全力でチャレンジした結果の失敗であれば、自分が納得できるのではと思うのでした。

「失敗できるから成長できる」一方で、「失敗から学ばないのであれば成功した方が良い」と感じたことがあります。困難にチャレンジした後の喜びに興味がないのであれば、このフィロソフィーは合っていないのかなとも思えました。「技術を通して人の役に立つ」がスタート地点だからこそ技術者の素質のふるいを理念に内在させたのかもしれません。

講演から持ち帰った他のこと

講演では他にもいろいろなことをお聞きしました。常に危機感をもっているからアグレッシブにできることも何か腑に落ちるところがありました。東日本大震災での開発拠点の壊滅や同年のタイでの洪水による工場浸水などのエピソードから、あの本田技研工業ですら開発や生産が6ヶ月停止すると危ないと危機感を感じていたそうです。

自分たちが欲しい物を自分たちの手で作る。この状態だと3つの喜びは自然とできます。
現場から「生産ラインが動いていることが幸せ」という言葉が自然と出てくるのをみて、ほんとに色々考えてしまいます。

まとめ

企業の理念やフィロソフィーは自ら深く考えて何度も見直すたびに新しい気づきが出てくる物が理想です。本田宗一郎さんや本田技研工業が長い時間をかけて築き上げてきた哲学を、早合点できるものではありません。 今回は「三つの喜び」を理解する一つの側面から「苦労した後の喜び」という所に絞って書いてみました。

ニュースなどを見ていて「苦労あっての喜び」を公言できない世情もあります。しかし 「苦労した後の喜び」というピースを当てはめると、ほんとにすべての点と点が線でつながったかのように理解できてしまうのは私の中ではかなりの感動ものでした。

喜んで仕事をするという状況は、働き手だけの問題ではなく、働き方や仕組といった所などの環境も必要だとますます考えてしまいます。

3つの喜びは「脇目を振らず働く」極意であり仕事をしているのが一番楽しいという人の最後のよりどころになり得ると私は見えました。自分がよかれと行動した結果の失敗が許されるというスパイスが入っています。

今回は勉強というよりブレイクスルーができた気がします。うまく文章化はできていませんが、実践して使う事ができる知識だと私は感じました。

最後に

文中の例が極端な節がありますが、努力や苦労は、人それぞれのレベルがあり段階があります。一歩一歩自分の脚が上がる所まで頑張ってみて、努力や苦労のレベルを上げていくこれが王道だと思います。だからこそ、人と比べることなく、自分との勝負が大切なのだと思います。私自身が過去に何度も大きな目標を立ててもうまくいかなかった経験(計画倒れ)から気づいた、当たり前だけど気づきにくいポイントだと思います。

お役に立てるかどうか心配ですが、私にとっての大きなヒントであった「フィロソフィーであげる喜びとは、苦労したときの喜びなのです。楽ができたとかそういったことではないのです。」 という捉え方が読んで頂いた方の何かのお役に立てればと願っています。

お読み頂きありがとうございました。