コロナウイルスにより行動に制限がかかるようになってからそろそろ1年が過ぎようとしている。

最近、心の調子が良くない。なんとなく希望が持てないのだ。先が見えなくてなんとなく未来への投資に躊躇してしまっている。

1年前の自分のノートに、「コロナウイルスの終息には2年から3年かかるだろう」と書いてあった。日本でのスペイン風邪が流行った時の記録などいろいろ書かれている。

改めてみると、「全然わかってなかったな」という気持ちになった。当時ノートを書いていた時には、その意味するところが分かっていなかったのだ。どこかで他人事のような「自分だけは違う」という気持ちがあったのだろう。

当事者になってみなければわからないのは仕方がないが、自分だけは違う、という判断が、後手など対応の遅れにつながっているような気がした。


思い返すと「あの時の方がまだましだった」と感じてしまうが、たぶん将来の未来に、今を見返したら、あのときの方が方がましだったと感じる気がする。まだまだ、底辺ではないような気がするからだ。

ことあるごとに頭に浮かんでくる「今は過去の結果。将来は今の努力でつくるもの」という言葉は、結局、今できる目の前のことを精いっぱいやるしかない。と僕の中では、前を進む言葉になっている。

いっぽうで、自分だけは違うとか、大丈夫だという考えを無意識のうちに持っていて、それが後手後手になった原因だと最近気が付いた。政府の対応とかそういうことに当てはめてもいいが、最近僕の血中コレストロール値がやばい。

今僕は生活習慣病になりかかっている。運動や食事制限にもっと気をつけるべきだった。


「自分でもどうしようもないことを考えることを止めた」と口では言っても、「なにくそ!!変えてやる」と心のどこかで持っていることを忘れてはだめ。

トランプ大統領については、いろいろな意見があるけど、まさに、ハリウッド映画や西部劇のような、アメリカ的な、「ネバーギブアップ」のあの精神に関して言えば僕は好きだ。

BSでたまたま放送されていた若くはないアーノルドシュワルツェネッガー氏が主演で保安官を演じる映画を見ながらそう感じた。最後まで諦めちゃ駄目なんだと。

「場合によりけり」というご意見も十分理解できるけど、誰もが不可能と思えるようなことでも、最後まであきらめずに信じ、今できることを精いっぱいやっていくことが重要だと僕は思う。


ノートには、「笑顔で免疫力アップ」「体を温め冷まさないこと」とあった。確かに体を壊さずに健康に過ごせている。意識的に行動することで、極度なうつ状態にもならなかった。

しかし僕は一年前の自分に伝えたいことがある。それは、闘争心のような熱い心も忘れないように。ということだ。

決して、感染対策をおろそかにするという意味ではないが、「ステイホーム」や「自粛」はすべて守りや逃げの戦略である。やり過ごそうという意味が多分に含まれ、反撃のスパイスがなかった。

1年たってエネルギーレベルが下がっている最大の原因は、「コロナウイルスなんかに負けてたまるか!!」という闘争心が低かったためでは無いかと思った。


1年前には考えが及ばなかったが、コロナウイルスが過ぎ去った跡こそ大変な時代になる。

「コロナ渦で一旗揚げよう」というレベルまでではないが、今年1年のうちに急速に回復するという「無駄な幻想」を捨てて、「嵐の前の静けさ」のなかで、今度こそ準備をしっかりしなければと思っている。

そう、この原稿を書き始めたときは、ほんとに鬱になっていた。最悪の状況の中で音楽家は演奏をすることで救われたと言った。物書きは、ものを書く中で、救われるのかもしれない。

そうだ、もっと頑張りたい。
さぁ、がんばろう。
では、このへんで。