こんなことを書くのも何ですが、最近というか慢性的に、大和楽の記事が全く進んでいないことに、焦っていたりします。
「400文字コラム」の筆がなかなか進まないのでした。
ところで最近、つくづく、文章作りに企画が重要だとひしひし感じています。この文章もそうですが、何も決めずに書き始めて、なんとか、形にしてしまうというやり方ではだめなのです。
だめな理由の一番は、なんとなく書き始めて、収拾が付かなくなり、整えていくとどんどんつまらない記事になっていくことからなのです。
企画の重要性に続いて、感じたことは、文章の鮮度です。「感じたことを素直に文章に変換する」これが、文章屋の奥義だと、ほんとに感じています。
最近自他共に認めるジャーナリストから、社会記事や政治記事といったニュース記事より、やはり、自分で企画を立てて、好きなことを書くのが面白いと聞きました。確かに、時勢のネタは、読者ウケを想定するから面白くない。
そんな中、書き手それぞれで、得意不得意があるようですが、どうも僕は、ノリノリ文章の方が得意なような気がしてきました。
もっと自分の言葉で説明すればいいではないか?心がそう訴えています。東大卒の切れ者が書く端的な文章を目の当たりにしたときに、僕にはそんな文章は書けないと感じたのがきっかけであります。
端的な文章を書くことが出来る人が突き詰めていくと、ユーモアのある端的な文章に成熟していく可能性はあります。端的であっても本当に気持ちのいい文章って確かにあります。
一方で端的な文章が苦手な僕が、いくら頑張ってまねようとしても、意味がないのではないか?むしろ、端的な文章特有の冷たさというか、つまらなさだけが、表に出るような気がしました。
そもそも、切れのある文章を書く人は最初から切れのある文章を書き出します。見て感じたことは、頭の回転速度もありますが一次記憶容量の違いが大きいようです。
一方で、僕は文章をこねくり回してなんとか端的な文章に見えるように整えています。それは、よくない。よくないと思うのでした。
これからは、ちょっと方向性を変えて、物語路線に踏み出し、例えば、
- もしも、○○だったら
- 真実発見
- まとめてみました
などを、大和楽で書いていこうかなと思い始めました。端的で切れのある文章への道を途中で投げ出す形になるかもしれませんが、「新しいことに挑戦する」「変化を恐れない」ということが重要だと思います。
全く都合のいい解釈かなと思いつつ、400文字のコラムをメインコンテンツにするという考え方にとらわれず、好き勝手やってみようと思うのでした。
よろしくお願いします。